セブンスデー・アドベンチスト教団公式ホームページ

第10課 聴覚しょうがい者用:浦島智加男

PDF Download
PDFダウンロード

2016年 第1期 反逆と贖い
第10課 パウロと反逆

1.初めに
大争闘(だいそうとう)とは、実際(じっさい)には神に反逆(はんぎゃく)した元天使長(ルシファー)とその手下の天使たちが、神様が造られた世界を統治(おさめる力・方法)されることに対して、異議(いぎ)を唱(とな)え(反対だと言う)、それを妨害(ぼうがい)(じゃまする)しようとするサタンと、正しい統治をなさる神様との間の戦いです。
人間は、アダムとエバは神の陣営(じんえい)(敵(てき)の攻撃(こうげき)を防(ふせ)ぐ場所)にいたのですが、サタンの策略(さくりゃく)(うまくだます)によってサタンの陣営に引き込まれてしまいました。しかし、「サタンから離れて私の陣営に戻ってきなさい」との神様の声を聞いて、自分は今、サタンの陣営にいて、彼の命令通り動いていたのだ、これでは命も、人間としての生き方も意味がなくなると気づいた人々は、イエス様が自分の命をかけて勝ち取って下さった陣営に戻(もど)ってきたのです。この人たちがクリスチャンです。
でも、サタンは諦(あきら)めていません。クリスチャンの油断とすきを狙って、再びまた自分の陣営に連れ込もうとしているのです。わたし達クリスチャンは、サタンと戦っても勝ち目はありません。「空を打つ拳闘(けんとう)(ボクシング)」のようなものです。サタンは、わたし達の能力(のうりょく)をはるかに超(こ)えた知恵と力を持っているからです。イエス様が戦ってくださるのです。いや、すでにサタンは敗北(はいぼく)し、イエス様が勝利を勝ち取って下さっています。わたし達は、神が備(そな)えて下さった色々な道具や知恵を使って、サタンの計略(けいりゃく)を見破(みやぶ)り、誘惑(ゆうわく)されないでイエス様の力に頼り、イエス様の陣営に立ち続けるのです。イエス様の勝利の効果(こうか)が表れてくるまで、もう少し時間がかかります。再臨の時にそれがはっきりします。
2.アダムとイエス 2月28日(日)
神の陣営(じんえい)(神が垣根をめぐらして幸福と命のあふれていたエデンの園)に立っていたアダムとエバにサタンは近づき、唆(そそのか)して(上手(じょうず)にだまして)自分の側(がわ)に引き込んでしまいました。サタンが吹き込んだ教えによって、神を離れ、罪を得たアダムとエバの影響(えいきょう)は、その後の人類に遺伝的(いでんてき)(親から子へ)に「死」という運命を伝えることになりました。「死」はそれにまつわる様々(さまざま)な不幸(病気・悲しみ・争い・殺人など)をも人類にもたらしました。
人間を愛してやまない神様は、イエス様をこの地上に天から送られて、アダムが失敗したその場所から人間の「命と幸福」をもたらす道を示めされて、彼らに再び戻ってくるよう声をかけられました。しかし、神のみ声を聴(き)いて立ち返る者と、無視(むし)する者とがあり人類は二つに分かれていったのです。

3.教会という「建物」 2月29日(月)
神様の陣営に入れられた人たちが、そこから離れていかないための道具の一つが「教会」です。そこでは、神様を覚え、神のみ声を聞き、神の臨在(りんざい)(生ける神がそこに居られること)を感じ取るのです。アダムから3代目のセトという人のころから「主の御名を呼び始めたのは、この時代のことである。」(創世4:26)人々は集まり主を礼拝しました。
「教会」といえば、今は信徒(しんと)が建てた教会堂(きょうかいどう)という建物(たてもの)を指(さ)しますが、ギリシャ語の「教会」は、神様に声をかけられて、その声に応じた人々の集まりのことです。旧約時代は、聖所であったり、神殿であったり、新約時代になって会堂(かいどう)(シナゴグ)や教会堂を建てて「主の名を呼ぶ」ことを始めました。イエス様がサマリヤの女性に「この山でも、またエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。」(ヨハネ4:21)と言われたように、教会は場所にとらわれず、神の陣営(じんえい)です。
4.体(からだ)としての教会  3月1日(火)
人々が集まり、そこに規律(きりつ)(ルール)があって、人々の間に生けるつながりがあれば、それは活(い)きた教会です。人間の身体は、脳を中心に有機的(ゆうきてき)(一番大切なところを中心に生きたつながりを持っている)であり、生命ある動きをしています。
パウロは、教会も生きた人間の体のように、たがいに助け合い、いたわり合って、健康な生き方をし、頭脳であるイエス様の指示を受けて、体全体が有機的(ゆうきてき)な活動をする体であることが望ましいと、コリント信徒への手紙12章に書いています。その活動とは、奉仕活動(ほうしかつどう)であったり、伝道活動をして、神様のみ心をはたすことです。
体は、時に部分的に怪我(けが)したり、病気も起こります。人間の体には、そのようになった時、それを癒(いや)す装置(そうち)(働くようにされたしくみ)を神様が備えていて下さっています。一人の人が、弱った時皆がその人のために優(やさ)しい心遣(こころづかい)いをし、祈り合いで癒す方向へ行ける教会はさいわいです。
5.神の武具(ぶぐ) 3月2日(水)
教会は、内部で仲たがいしたり、いがみ合っているとそれだけでも弱っていきます。
人間の内部に癒(いや)しをする免疫(めんえき)という組織(そしき)がありますが、最近はその組織が、体の健康な部分を攻撃(こうげき)して、かえってその人を重い病気にしてしまう例(れい)が沢山(たくさん)見つかっています。私たちの教会は、そのようになってしまわないよう祈りましょう。
内部の健康には気を付けていても、自動車や自転車がぶつかってきたり、見知らぬ人が刃物(はもの)をもって傷つけたり、外からの危険(きけん)もあります。中には、あなたを見張(みは)っていて、害を加えようと狙(ねら)っている何者かがいます。
聖書にはそのようなものがいることが書かれています。「身を慎(つつし)んで目を覚(さ)ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子(しし)のように、だれかを食い尽(つ)くそうと探し回っています。」(1ペトロ 5:8)襲(おそ)われないためには、様々な防護(ぼうご)する武具(ぶぐ)(よろいやかぶと)を持っていれば安全を確保(かくほ)できます。エフェソ6章に書いてある武具は、昔のローマの兵士(へいし)が身に着けていたものです。サタンは、霊的な存在(そんざい)ですから、霊的な武具が必要でそれをエフェソの手紙が詳しく説明しています。
6.最後の敵 3月3日(木曜日)
寿命だけでなく、健康で長生きをする取り組みが色々なところでなされています。健康で長生きしている人も、120歳を超えて生きることはできません。アダムに、罪を犯した者は「必ず死ぬ」といわれた刑罰(けいばつ)の言葉は、長い人間の歴史の中で現実に起き続けています。
しかし、大争闘(だいそうとう)の兵士(へいし)として神の陣営(じんえい)に立ち続ける人には、新しい命が約束されています。人類の最後の敵である「死」をも、我らの陣営の総大将(そうたいしょう)であられるイエス様が勝ち取って下さっているのです。