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第4課 聴覚しょうがい者用:浦島智加男

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2012年 第1期 私たちの神
第4課 恵みと裁きの神

聴覚しょうがい者用:浦島智加男

はじめに
 神様は、様々(さまざま)なご性質(全知(ぜんち)、全能(ぜんのう)、義、愛など)をお持ちですが、私たち人間が持っている罪をご覧(らん)になるとき、そのうちの「義」と「愛」という、相反(あいはん)するご性質がどのように表されるかを学びます。
 神が統治(とうち)しておられるこの宇宙に罪があると、それは破壊的(はかいてき)(こわす)に働き、宇宙全体の安全が危機(きき)に瀕(ひん)する(危なくなる)のです。でも、宇宙の一角(いっかく)を占めている地球に罪が入り込み、地球の住民(じゅうみん)は罪に染(そ)まっています。神は、一刻(いっこく)も早くこの罪を取り除(のぞ)き宇宙の安全と平和を取り戻したく思っておられます。神様の「義」は、この罪を滅ぼす方向(ほうこう)にのぞみます。これを「裁(さば)き」といいます。罪に染まっている人間は、裁きを受け、ひとり残らず滅(ほろ)んで行くしかありません。
 しかし、一方(いっぽう)神は愛であられます。罪は滅ぼしたいが、罪人になった人類は滅ぼしたくないのです。神様の胸の中で、義と愛がぶつかり、苦しまれたことでしょう。でも、罪は滅ぼし、罪人(つみびと)は滅ぼさない方法を用意されました。これがキリストの十字架という手段です。これによって罪人が救われるのです。これを「恵み」と言います。

1.裁(さば)きの日 1月22日(日曜日) 
 罪は必ず滅ぼさなければならないのですが、神様は、忍耐づよい方です。なぜ、罪が災(わざわ)いなのか、滅ぼす必要があるのかを、十分に説明された上で、時間をかけて裁きを実行なさるのです。初めに天で、神の前でルシファーが神に反逆(はんぎゃく)し、罪を犯した時に、神様は石ころを投げるように、ルシファーと罪を犯した天使たちを、いとも簡単に滅ぼされることもおできになりました。神の前からは追放(ついほう)されましたが、今も悪天使たちは、生き残っています。罪を犯した人類も長い間生き続けています。
 それは、罪が説明するのが難(むずか)しい神秘的(しんぴてき)な性質を持っているからです。罪の性質が形に現れそれがどんなに恐ろしいものか、破壊的なものかを宇宙に存在(そんざい)する者たちが、理解するまで時を延ばして待っておられます。
 しかし、それが十分に理解(りかい)されたと判断されたとき、裁きを断行(だんこう)(実行)される時が必ず来ます。神のみ心の中で決めておられます。それが「裁きの日」なのです。

2.エデンにおける裁きと恵み 1月23日(月曜日)
 あれほど、平和で幸福であったエデンの園(その)の住民に、サタンが忍び込み、彼らを罪に巻き込んでから、アダムとエバの関係が険(けわ)しいものに変化し、あれほど慕(した)わしかった神様が恐ろしい存在(そんざい)に変わりました。神様は、彼らに罪には刑罰が伴い、罪の結果は苦痛に満ち、最後には死という運命があることを言い渡されました。これが彼らに対する裁きの宣告(せんこく)(言いわたし)です。
 しかし、恐怖(きょうふ)におののく彼らに、罪を告白し、悔い改めるなら救われる道があることを創世記3章15節で、救い主がおいでになって、罪の張本人(ちょうほんにん)であるサタンが滅ぼされ、罪そのものが無くなる時が来ることを約束されました。これが、めぐみの宣告です。

3.ノアの洪水(こうずい) 1月24日(火曜日)
 エデンの園で、恵みが宣告されたのに、それを受け入れて神を礼拝する人と、それを拒(こば)む人と2種類に人類が分かれました。「生めよ、増えよ」という神の祝福の言葉も、恵みを拒む人々によって、罪が増えて行くばかりの結果を招きました。世の中全体が罪(つみ)一色(いっしょく)になりました。
 しかし、ほんの一(ひと)握(にぎ)りのノアとその家族が、神を礼拝し、救いを待ち望んでいました。神様は、一度この罪の世界を滅ぼして、神を礼拝する世界を取り戻したかったのです。そこで、洪水を起こし、神に反逆する人を一掃(いっそう)されました。これが裁きです。
 創世記6:8「しかし、ノアは好意(こうい)を得た」とあります。好意とは「恵み」という意味です。神が人々を救おうとして、手を差し伸べて全身を傾(かたむ)けておられる姿を表す言葉です。しかし、多くの人は、ネフィリム〈創世記6:4〉に目を奪(うば)われ、その恵みが見えませんでした。それを「得た(発見した)」つまり、神様が人類を救おうとしている姿を発見したのは、ノアだけでした。
 ノアとその家族に箱船(はこぶね)をつくらせ、ほかの生物も救う手立(てだ)てをされ、洪水後の新世界が始まりました。

4.断罪(だんざい)と恵み 1月25日(水曜日)
 ヨハネ3章16、17節は、ここだけで「小聖書(しょうせいしょ)」と呼ばれています。つまり、この聖句の中に、聖書が言いたいことが、全部集約(しゅうやく)(まとめてある)されているということでしょう。
 人類全体は、罪を犯したので、神の断罪(裁き)を受け、滅びるはずだったのに、愛の神は、そのひとり子(キリスト)をこの世に送り、人間の罪を全部引き受け、十字架で人類にかわって、神ご自身が罪の罰をお受けになる、という不思議な愛の表現(恵み)なのです。この聖句の中に福音がぎっしり込められています。

5.神の裁きの時 1月26日(木曜日)
 一つの社会が、成り立つためには、ルールが必要です。人間のどの社会でもルール(法律)があります。色々なルールの基本(きほん)になっているのが、正義です。ルールを破ったら必ず「罰」を課(か)する、これが正義です。このルールをしっかり守るように、社会が乱れないように見守っているのが警察官、裁判所などの司法(しほう)です。法律違反の罰は、罰金もあれば、刑務所などで拘束(こうそく)(自由に行動できなくされる)されたり、罰が重いと死を宣告(せんこく)されることもあります。しかし、この世の法律(ほうりつ)違反(いはん)は、それが見つかり、証拠(しょうこ)がはっきりした時だけで、多くは見逃(みのが)されています。
 中国の古い言葉の中に「天網(てんもう)は恢(かい)恢(かい)にして、しかも漏(も)らさず」というのがあります。神様が人類に与えられた法律はたった十しかありません、十戒です。網に例(たと)えれば、粗(あら)い網です。恢恢という言葉は「粗(あら)い網(あみ)」という意味ですが、粗い網は、小さな魚はくぐり抜けられます。つまり、人間の社会の法律は何十万もあり、法の番人も沢山いるけれども、罪が見逃されたり、抜(ぬ)け道があったりしますが、聖書は、神様の目はどんな小さな罪も見逃されないし、罪は必ず断(だん)罪(ざい)される、しかもその日は決められており、必ず実行されると言っているのです。

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