セブンスデー・アドベンチスト教団公式ホームページ

第5課 吉田浩行

PDF Download
PDFダウンロード

2012年 第1期 私たちの神
第5課 神は聖なる方

吉田浩行

聖なる神の御前に生きていることを常に覚えていましょう。

日曜日「・・・と書いてある」
「私たちは、神についての自分の理解が不完全で、偽りのものであることにすら気づいていないのかもしれません」(5行目)。不完全ですが、神がお許しになっている範囲内で謙虚に学ばせてもらいましょう。聖なる神を知る手がかりは聖書全体にわたって書かれてあることです。「新約聖書に啓示されている神と旧約聖書に啓示されている神とは異なると主張する人たちがいる」(10行目)。このような主張はわりとよく耳にします。各自が読み、受けた印象をもとにしてのことでしょうが、感想、印象は神の啓示ではありません。旧・新約を切り離し、それぞれが違う神について語っていると考えてはいけません。

月曜日 区別されること
聖と聖ではないものの区別は、まず神による宣言が基です。問2の安息日の時間が神聖視されたことについて、時間は目に見えない、皆に平等、私たちがどこにいても時間は訪れる、などの特徴があります。人物、物、場所のような偶像崇拝の対象と違います。問3の各聖句の要点は、①神と比べられる存在はいない、②主だけが聖である、③神の御業は他の何者もできない。聖書の言葉が聖なる神を区別しています。人間の不完全な知識と偏った情報を基にすると区別ではなく、差別が生じます。

火曜日 塵と灰の中で悔い改める
ヨブ42:5,6をもとにここでは聖書の人物が自分の目で見たこと、実体験に焦点を当てています。ヨブの他にエゼキエル、ヤコブ、モーセ、ダニエル、それぞれが神の御臨在を目の当たりにして、恐れ、ひれ伏し、打ちのめされています。「聖なる神とは対照的な自分自身の価値のなさと罪深さを痛感した」(下から5行目)。今でも神はこのように私たちを捕らえてくださるお方です。人間が神の神聖さに触れる体験には恐れ、痛み、悔い改めが伴います。罪に堕ちた私たちでも神聖さを意識できるとは、考えてみたら不思議なことです。

水曜日 私から離れてください!
舟の中の狭いスペースにペテロは主の足元にひれ伏して、顔も上げることができないまま心境を言い表すのに困ってしまったのでしょう。自然界をも御支配なさる創造主の面前にいると自分の不信仰と汚れが際立つばかりです。罪の自覚は神への恐れと正直な「私は罪深い者です」の告白に至ります。主には全てがお見通しです。全てを見抜いた上でイエスはペテロに「あなたは人間をとる漁師になる」と宣言しました。聖なる神は、罪深い者を教育して聖なる働きに用いて下さいます。

木曜日 悪霊が話すとき
安息日に会堂にいた礼拝者の一人に悪霊が取りついていました。悪霊は「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしにきたのか。正体は分かっている。神の聖者だ」と叫びました。この時はイエスさまが教えを語っていた最中でした。悪霊は主の神聖さを認めながらも、御言葉が語られるのを妨げているようにもとれます。今週学んだ登場者は御前に共通して恐れを感じています。しかし悪霊だけは権威ある主の教えを嫌うのです。そして最後は権威ある主の叱責に従うしかありません。

Translate

Chinese (Simplified)EnglishFrenchJapaneseKoreanPortugueseSpanish