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第5課 渡部義和

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2012年 第1期 私たちの神
第5課 神は聖なる方

E. G. ホワイトメモ

安息日午後、今週のテーマ・ 「イザヤは他人の罪を公然と非難しましたが、今や自分自身が彼らに下したと同じ有罪宣告にさらされているのを見ました。彼は、神への礼拝において冷たい、生命のない儀式で満足していました。主から幻が与えられるまでは、このことを知りませんでした。聖所の神聖と荘厳を見た今、自分の知恵や能力は何と取るに足りないものであったのでしょうか。何と価値のない者であったのでしょうか!聖なる奉仕に何とふさわしくない者であったのでしょう!…」、『闘争と勇気』、234頁(英文)。

日曜日、「……と書いてある」・ 「家長たちに示されたキリスト、犠牲制度に象徴され、律法に描かれ、預言者によって、啓示されたキリストが、旧約聖書の宝である。キリストの生涯、死、復活、それに、聖霊によってあらわされたきるストが、新約聖書の宝である。父の栄光の輝きであられるわたしたちの救い主は、旧約であると同時に新約でもあられる」、『希望への光』、1232頁、『キリストの実物教訓』、104頁。

月曜日、区別されること・ 「創造主と顔をあわせて、心と心の交わりをすることが、アダムのとうとい特権であった。もし彼が、神への忠誠を変えなかったなら、この特権は、永久に彼のものとなったであろう。彼は、永遠にわたってたえず知識の新しい宝を手に入れ、幸福の新しい泉を見いだし、神の知恵と力と愛についていよいよ明らかな概念を持ちつづけたであろう。アダムが、創造された目的を十分に果たせば果たすほど、創造主の栄光は、ますますはっきり反映されたであろう」、『教育』、4頁。

火曜日、塵と灰の中で悔い改める・ 「キリストの比類なき愛の片鱗をかいま見る人は、他の一切を塵あくたとみなし、彼を万人にぬきんでてことごとく麗しい方として仰ぎます。セラフィムやケルビムがキリストを仰ぐ時、彼らはその翼をもって自らの顔を覆います。主のご臨在と栄光の前で、彼らは自身の完全と美を誇りません。…神の栄光と無限の愛を見つめる人は、自分自身を謙虚に見ますが、神のご品性を見ることにより、神のかたちに変えられます」、『彼を知るために』、175頁(英文)。

水曜日、私から離れてください!・「彼(ペテロ)は、神の御子の御前にいることを知り、そのような交わりにあずかるにふさわしくないと感じました。彼は衝動的に主の足もとにひれ伏して、『主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです』と叫びました。こういいながら、救い主には言葉通りに受け取っていただきたくないかのように、イエスの足にしがみついたのです」、『パンフレット:贖い、油注がれた方、キリストの教え』、37頁(英文)。

木曜日、悪霊が話すとき・「神の子供は、最初イエス・キリストの威厳ある姿を見て恐れに満たされます。彼は、主の聖なるご臨在の内に生きることができないと感じます。しかしヨハネに与えられたように、『恐れるな』という言葉が彼にも与えられます。イエスはご自分の右手をヨハネの上に置かれ、ひれ伏した彼を立ち上がらせてくださいました。主はご自分に忠実な、信頼する者にも、同じようにしてくださいます」、『彼を知るために』、360頁(英文)。

『E. G. White Notes』 第5課から抜粋、パシフィック・プレス出版社承認済

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